なぜ元消防士が、公務員を辞めて1年後から年商1000万円を超え続けられる起業家になれたのか?〜USPディレクター 小藪宗博起業秘話〜
起業家のためのUSPディレクター
小藪宗博(こやぶ むねひろ)です。
目次
安定した公務員を辞めて、なぜ起業をしたのか
私には、人生で大切にしているテーマがあります。
それは、
子どもたちに夢と勇気を与えられる人となり、
そんな大人を増やすこと
そのために、
不可能のない人生を歩み歩ませること
まず自らが、
不可能なんてない!と想える人生を歩むこと
そして関わる人にも歩ませることで、
やりたいと想うことならば、
なんでも出来る!と想える背中を魅せて、
子どもたちの世代にも
不可能なんてないと夢と勇気を持てる背中を
引き継いでいきたいと想っています。
そう想ったキッカケは、
消防時代にさかのぼります。。。
私は、2012年末まで消防士をしていました。
そう言うとほとんどの人が、
安定した公務員を辞めて、
なぜ起業をしたのかと聞いてきはります。
私が、安定していると言われている
公務員という職を捨て起業したキッカケは2つありました、、、
それは消防士時代に感じたことに、さかのぼります。
私は、
サラリーマンの父親の元に生まれ大阪の田舎で育ち、
普通に学校に行き、普通に就職をした、
どこにでもいる普通の人でした。
1998年に消防士となり、
はじめて配属された署が西成消防署というところだったのです。
関西の方なら知っている人がいるかもしれませんが、
犯罪発生率日本一、
火災発生件数日本一、
救急件数も日本一という、
治安の悪いところ、そして、
今の日本をギュッと凝縮したような所でした。
南の端は、帝塚山と言われる超高級住宅街に隣接し、
その付近は商店街など自営業の人が多く、
そこから少し北に行くと、
大阪の中心地に電車で10分程度と便利なトコロなので、
マンションや住宅街があり、サラリーマン世帯が多くいました。
そこからさらに北に行くと、
生活保護を受けている世帯が多くいて、
私が主にいた北東の方には、
生活保護すら受けられず、
日雇い労働で食いつなぎながら、
路上で生活する人たちがいたのです。
そして、、、
その隣には、
その人たちから搾取するヤ◯ザの事務所がある、
そんな日本のイイトコ・悪いとこをギュッと凝縮したような区でした。
また、
昔ながらの木造の建物が多く残っていたので、
よく火災が起こっていました。
その時に、
消防士は火を消し人を助け、
多くの人に感謝されるシゴトでした。
でも、あるジレンマがあったのです、、、
それは、感謝はされるけど、
助けた人達は元の状況より、
悪くなっているって現実がある、、、
人によっては住む家がなくなり、
人によっては助けた3日後には、
お亡くなりになっている、、、
そんなジレンマを抱えながらも、
必要なシゴトだと想い、
目の前の人を助けるコトに没頭してました。
しかし、
消防時代に抱えていたジレンマが、
むちゃくちゃ大きくなるある出来事があったのです、、、
起業へと踏み出す大きなキッカケ〜3.11 東日本大震災〜
消防というシゴトに誇りを持ちながらも
ジレンマを抱えていた時に、
大きなキッカケがあったのです。
それは、、、
2011年 3月11日に発生した東日本大震災です。
私は、緊急消防援助隊として
発災の2日後の3月13日に大阪を出発し、
岩手県釜石市を中心とした場所の救助活動にあたりました。
出発から25時間かけ、岩手県に到着し、
高速道路を降りると、
瓦や壁がところどころ壊れているものの
特に大きな被害がないように思われました。。。
しかし、
津波が到達していたところから、
景色は一変したのです。
見渡す限り泥と瓦礫の山、、、
本来そこにあったはずの建物はなく、
見えるのは消防車や警察、自衛隊、
そして道路を通行できるように、
土砂をかきわけるショベルカーなどの重機だけでした。。。
その時、強烈に人の命の儚さを感じたのです。。。
その後、
釜石市より1つ内側の遠野市というところで、
高校の体育館を借り、
8日間床で寝泊まりをしながら、活動にあたりました。
私は、後方支援隊といって、
主に人員の管理や車両の管理、
燃料の調達や食料の調達が任務でした。
8日間活動している間、
それぞれの隊員がそれぞれの場所で、
懸命に活動していたのですが、、、
生きて救助出来た人はたったの1名、、、
活動で関わったほぼすべての人が、
お亡くなりになっていたのです、、、
遺体を見つけ出し、
遺族の元に連れて行くことで、
感謝はされていました。
でも、、、
その感謝をしていただくことに、
すごいジレンマを感じていました。
と同時に、
8日間の活動中にあるボランティアの方と出会います。
その方は、
毎日おにぎりを配るボランティアをしてはりました。
毎日人数分を届けてくれたのですが、
リーダーの方は変わらないのですが、
1日・2日経つと一緒に来る方が変わっていくのです。
不思議に想いリーダーの方に聞いてみると、
「◯◯さんは会社に行かないといけなくなったの。」という回答でした。
なるほどと想いつつ、
なぜリーダーの方は毎日来れるんやろうと
疑問に想い聞いてみると、
その方は起業家だったのです。
自分の意志で行動できるって、
なんかカッコいいなと想いつつも、
その時は話をして終わりました。
ですが、、、
8日間の活動を終えて大阪に帰った後、
起業に向けて大きく舵を切るキッカケがあったのです、、、
起業というビジネスの世界に出会う
東日本大震災では全力で活動した後、
岩手県での8日間の活動を終え、
大阪に戻ると人事異動が待っていました。
外郭団体に出向になり、
立て直しのサポートをする任務に付きました。
その時、
はじめて消防以外のビジネスの世界を知ったのです。
経営の立て直しも任務にあったので、
はじめてビジネスセミナーなどに参加することになりました。
そこで、ある有名な講演家の講演を聞いたんです。
講演が終わると参加者全員が、
スタンディングオベーションで、
すごいやる気に満ちた表情をしていました!
その時、
今困っていない人も、さらによくすることが出来る!!!
こんなシゴトがあるや!起業家ってすごい!!!という風に
消防とは違った面から、
人の役に立てるシゴトがあることを知って、
心が動かされたのです。
それと時を同じくして、
起業に向けて大きく背中を押された出来事があったのです、、、
起業に向けて大きく舵を切った出来事
人事異動と時を同じくして、
橋下市長の就任がありました。
橋下市長が大阪市長に就任して、
行ったことは大幅な人員削減と給与のカットでした。
最初は仕方ないって思いました。
でも、
選挙の時に掲げていた
他の市民の痛みをともなう財政再建策が、
すべて実行できず、
財源を確保するために実行された施策は、
2度目の人件費の削減でした。
その時、あるコトに気づいたのです。
公務員の給料は多いから仕方ない。
世の中の声はそんな感じでした。
でも、私がその時思ったことは、
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった
橋下さんですら、根本的な財政改革ができない
ってことだったのです!
橋下さんですら無理ならば、
国の国会議員なんてもっと無理、、、
ならば、
私達の年金って絶対にないやろう、、、
そう思ったのです、、、
きっとあなたも感じているハズ。
今払っている年金が、
自らが年老いた時に本当にもらえるのか?
今ある社会保障制度が、
本当に将来もあるのだろうか?
国や大企業に任せていても、
どこにも安定なんかない!
そんな事実に気づいた時に、
私が今まで会ってきた人のなかで、
最も自由で、最も責任を持ち、
輝いてたのは起業家だ、と気づいたのです。
そこからは、
自らの意志で動いて
人の役に立てる起業家になりたい!
その想いがとめられなくなったのです。
起業家になりたいという想いを持ってから、
私は、起業に向けて動き出しました。
とはいえ、
まだまだ安定していると思われている
「公務員をやめる」
そう言うと、
家族からは猛反対をうけました。
それでも、
自らの意志と自らの責任で、
自らの足で立つ生活をしたい。
そして
動けば多くの人の役に立てる!
もっと世の中の人の役に立ちたい!!!
そう思って、
起業に向けて大きく舵をきりました!
とはいえ、
ビジネスなんて、
全く知らない生活をしていたので、
そう上手くはいかなかったのです、、、
起業を目指したハズが、、、待っていた借金生活
起業をして、世の中の人の役に立ちたい!!!
そう思ってからは、
様々な講座に出て勉強しました。
マーケティングやコピーライティングなど、
必要を言われるモノをどんどん学びました。
そして2012年の年末に消防士を辞めて、
起業を志すキッカケとなった講演家の元に転職したのです。
そこでもなかなか売上げをあげることができず、
勉強を続けてました、、、
その結果、
自己投資に使った額は1000万円以上!
でも、、、
売上げはゼロやった(>_<)。
知識やノウハウは増えていくのに、
どうすればお客様に会えるのか?
どうすれば必要な人に
届けるとどけることができるのか?
自ら起業してゼロから稼ぐ
仕組みや仕掛けをどうすればいいのか?
学んでも学んでも、
売上げに繋がる方法がわからなかったのです。
結果、
自分の足で立てる方法を見つけることができず、
貯金を切り崩しながら、生活するのが精一杯、、、
最後には借金しか残らなかったのです、、、
そんな時に、、、
今につながる出会いがありました。。。
起業が成功に向けて動き出したキッカケ
昨年1年間では800件を超える起業相談を受けていました。
これだけの数
相談を受けてきて気づいたのは、
あらためてヒットパターンの大切さでした。
そもそも、私がなぜ
ライバル不在の市場をつくるUSPで
自動的に売り上がる仕組み
ヒットパターンを伝えているのか?
あらためて振り返ると、
私は、起業当初
1000万円を超えるビジネスの学びをしたにも関わらず、
利益は0円だった、、、
コピーライティングや
マーケティングの勉強をしたにも関わらず、
利益があがらなかった
あの頃に
ヒットパターンをつくることに気づきたかったから!です。
例えば、USPという言葉。
よく独自のウリと解釈されていますが、
独自のウリと聞いて、
自分にしかない資格や特技などを探し、
それらをキャッチコピーのようにしてUSPを作っても、
全くお客様が来てくれなかったのです。
また、
仕組み化という話もよく聞いたのですが、
Facebookやブログ、ホームページ、
メルマガやLINE@など
人によって言っているコトがバラバラで、
言われるがままに、
Facebookをやってみてもお客様が来ず、
アメブロを書いてみてもお客様が来ず、、、
そもそも。
お客様が悩まず迷わず考えずに、目の前に来てくれる
ヒットパターンを創るという概念を全く知りませんでした。
USPという言葉1つとっても、
仕組み化という言葉1つとっても、
意味や作り方は学べても、
実際に自分の場合はどうなるのか?という
肝心な部分が抜け落ちていたのです。
本やセミナーから一般的なノウハウは学べても、
実際に結果が出る具体策は、得られなかったのです。
だからこそ!
価値ある資格やサービスで、
世の中の役に立ちたいと懸命に努力している起業家の方が
飛躍的に成果を出せる!
その具体策を探してきました。
そして
”売れる”ヒットパターンを創ることで、
一気に結果を出せる!
という答えが、
ハッキリとわかったのです!
だから、今では
おかげさまで月商100万円を超える
クライアントさんが多数生まれています。
だからこそ、
私と同じような遠回りをしてほしくない!
そう想って、
売れるヒットパターンをお伝えしています。
あなたのヒットパターンはどんなカタチですか?
それはいつ出来ますか?
もしも、
今すぐ売れるヒットパターンを
手に入れたいならこちらです。
▼実は、大切なポイントはココにある!▼
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最後まで読んでくれておおきに^^
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起業家のためのUSPディレクター
小藪 宗博